駄文
ネタ数が22を超えてからは、全て実際のエピソード。
ふざけて作った嘘ネタ
<地元鳥取名産らっきょう><カタツムリの理性><扇風機から決定論を考察><三島由紀夫切腹自決の真相><こんにゃく><ショーペンハウアーの喜劇とクワガタ虫の関係><芥川の箴言の誤読><七星てんとう虫から人生を学ぶ><野良犬の偶然性><大作「ゲルニカ」の本当の解釈><ダッチワイフを愛する悪友><デカルトの馬鹿馬鹿しい妄想><神・写真はジャガンナート神><ユング心理学の巨大ロケットの解釈の誤謬><怪物>
<地元鳥取名産らっきょう>
眼の前の皿に一粒のらっきょうがのっている。
僕はらっきょうを凝視している。
らきょう存在と自己存在の対決である。
僕はらっきょう存在を意識に取り込もうとするが
どうしても取り込めない。
らっきょうは僕の睨みつける様な鋭い視線にも
全くたじろがず、毅然と皿の上に存在している。
らっきょう存在には勝てそうもない。
とうとう僕はらっきょう存在に負けてしまった。
<カタツムリの理性>
人類は共産主義という壮大な実験を試みた。
共産主義が失敗に終わったのはヒトにはカタツムリ程の理性がなかったからである。
ヒトは進化の過程でチンパンジーから別れて
わずか300万年しか経ってない。ヒトは理性で自己を制御できず本能に翻弄されている。
カタツムリは本能よりも、理性に基づいて行動する。
もしカタツムリが共産主義国家を作り上げたなら
マルクスが理想としていた共産主義国家は実現しただろう。
<扇風機から決定論を考察>
宇宙のカオスは扇風機の風により、統合される。
自由意志は決定論により、否定される。
すなわち現在、そこで扇風機が回転しているのは
宇宙創始の瞬間から決定しているのである。
扇風機に自由意志がないのと同じく
人間にも自由意志はないのである。
<不確定性原理では決定論は否定できない>
(不確定性原理を説明する仮想実験装置)
「不確定性原理(ふかくていせいげんり、英語:Uncertainty
principle)とは
ある2つの物理量の組み合わせにおいては
測定値にばらつきを持たせずに2つの物理量を測定することはできない
という主張のことである」。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より。
つまり物理的現象には偶然性があり、物理的現象に決まった法則はない。
不確定性原理で、あたかも決定論が崩壊したかのように思われるが、これは間違いなのである。
微視的世界の量子物理学が不確定性を免れないと言っても、決定論は哲学である。
哲学が、「微視的世界」などという あまりにもちっぽけ過ぎる物理学如きに負けるはずない!
全ての現象は宇宙創始の瞬間から決まっているという徹底的決定論者の主張は、不確定性原理では否定できない。
<三島由紀夫切腹自決の真相>
「天皇陛下万歳!」と叫び、三島が切腹自決をした原因は
彼の極度のたこ焼き嫌いのせいだった。
たこ焼きの概念と天皇の概念は
チャプリン心理学の見地では、相反する概念である。
極度のたこ焼き嫌いの三島は、無意識的に天皇に惹かれて行った。
三島文学は18世紀を代表する哲学者浦島太郎の影響を受けている。
浦島の哲学は「人間は生まれて人間になるのではなく
最初は何者でもなく、人間は後になって人間になる。
人間は自らが作ったところのものになる」と主張する。
三島は1970年11月25日
浅草の玉川幼稚園に乱入し
その屋上で皇居に向かい
「天皇陛下万歳!」と叫び切腹自決を遂げた。
そして三島は「自ら作ったもの」になった。
もし浦島太郎が生きていたら
「三島の人生は成功した」と言うだろう。
<見る>
Tバッグをはいている女の子は、その美しいヒップを異性の視線で
見つめられたい願望を持っている。
男性は女性のヒップに視線を投じる事により
性的エネルギーが上昇する。
しかし超自我(フロイト精神分析学用語)により、性行為は抑制される。
ヒップを見つめられているのを意識している女性は
その男性の性的エネルギーの抑圧による苦悩を認識し
性的エネルギーが上昇する。
しかし美しいヒップを見られるられることにより
満足感を得る。
女性は見つめられることにより
男性に視線を投じないまま、男性を見ている。
見た方が勝ちなのである。
この勝負は女性に軍配があがる。
<こんにゃく>
こんにゃくの持つ柔軟性は人の思考・行動に影響する。
人はこんにゃくと一体化することにより、柔軟な思考を獲得し
その事により、行動様式も変化する。
こんにゃくが日本文化に与えた影響は大きい。
その影響は日本の歴史を変えて行った程のものなのである。
歴史学者は、こんにゃくを考察しなければ、日本の歴史を語ることはできない。
戦後、日本は、軍国主義から、民主主義に急速に変化した。この急変はこんにゃくの持つ柔軟性の象徴が
日本社会の共同体に内在していたからである。
天皇制の意義とこんにゃくの意義は同レベルなのである。
日本の将来を予測する時、僕達はこんにゃくを念頭に入れて置かねばならない。
<ショーペンハウアーの喜劇とクワガタ虫の関係>
ショーペンハウアーは虚栄心や名誉欲を否定している。
彼の哲学は当初は評価されなかった。
ところが晩年になり、評価が著しく高くなった。
すると彼は、自分に対する評価を大変に喜んだ。
名誉欲を否定した彼に、名誉が与えられ、喜ぶとは・・・ まさに喜劇である。
中央公論社『ショーペンハウアー』から抜粋。
「自分が話題の中心になるとき
彼は好んで宗教上の格式を用い
弟子たちを福音の使徒と宣教師に分けて
自分に献じられた高脚盆を
これこそ聖餐盆だと名づけたという」
名誉欲を否定した彼に著しい名誉が与えられたことにより
彼が狂気の如く喜んだ理由は
幼年時代彼がクワガタ虫に指を鋏まれた体験のトラウマが原因である。
笑福亭敏雄の分析心理学によると
幼年期の男性はクワガタ虫に指を挟まれる体験により名誉欲が強くなる。
幼年期の男性はクワガタ虫を好む傾向がある。
それはクワガタ虫に好戦的なイメージを感じるからではある。
好戦的性格の人は名誉欲が強い。
クワガタ虫に指を挟まれたことがトラウマになったショーペンハウアーの
無意識に強烈な名誉欲が存在していた。
しかし彼は、これを意識化しないまま哲学を作りあげた。
そのため晩年の彼に名誉が与えられた時
病的に抑圧された名誉欲が満たされ狂気の如く歓喜したのである。
<僕の影>
僕の影は、僕にいろいろ話し掛けてくる。
影は僕自身だから、僕のことはよく知っているはずだ。
話し掛けられて、非常に気分が悪い。
僕は、僕の影に向かって「話し掛けてくるの止めてくれ!」と怒鳴るが
影は、僕の言葉を無視して話掛けてくる。
「個人的影は、個人的な価値観によってマイナスと判断されるもの」
だそうだ。
僕は、一生僕の影と戦い続けねばならないだろう。
<芥川の箴言の誤読>
「人生は一行のボオドレエルにも若かない」。
芥川龍之介の『或阿呆の一生』からの箴言である。
全ての文学者は「ボオドレエル」を、フランスの詩人「ボードレール」と誤読している。
実は「ボオドレエル」とは木で作った線路である。
人間は決められた線路の上に乗り、人生を終える。
しかもその線路とは木で作ってあり、実に危なっかしい。
芥川が言いたかったのは、
「人間は、木で作った線路の上に乗って生きているように思われるが
実際は、さらに危険である」という事なのである。
なおこの箴言には「一行」という言葉があるが
これは芥川の書き間違いだ!
(上の文章は当然、嘘ネタ。本当の解釈は次の文章参照)
<サルトルのボードレール批判>
芥川は、その遺稿で「人生は一行のボオドレエルにも若かない」という名言を残し自殺した。
平凡な人生は、ボードレールの詩のわずか一行の美しさにも、及ばないという意味だ。
サルトルは『ボードレール論』で、「ボードレールの人生は失敗だった」と言った。
ボードレールは、自由についての感覚と好みを持ちながら
他者の目で見た自分を終生演じ続けた。
演技して、彼は自己の身体をあやつり人形にし、身繕いし、変装し、人生を終えた。
サルトルのボードーレール批判は、虚飾に満ちた人生を送っている人々に対する批判だ。
<七星てんとう虫から人生を学ぶ>
七星てんとう虫は懸命な登攀をし
頂点に到達すると、羽を開き、空に飛び立つ。
この七星てんとう虫の動態は、僕達に人生を教える。
七星てんとう虫の動態を観察して
人間は不断の努力をし、目的を達成し、生の充実感を得ることを学ぶ。
こんなちっぽけな虫でも、人間の心を揺るがし人生観を変えてしまう。
僕達は七星てんとう虫を「全て良し!」と肯定し、応援しよう!
僕達の人生が有意義なものになるために・・・
<野良犬の偶然性>
(この文章はサルトルの『嘔吐』の一節の「存在」という抽象的言葉を、「野良犬の存在」と具体的言葉に置き換えた文章)
野良犬が、そこに存在することで、肝要なこと
それは偶然性である。
定義を下せば、野良犬がそこに存在するとは必然性ではないという意味である。
ただ単に<そこに在る>ということである。
野良犬と出会い現れ、<出会う>ままになる。
しかし、決して野良犬の存在を<演繹する>ことはできない。
これを理解した人は僕はいると思う。
ただ彼らは、必然的存在とか、自己原因とかを発明して
この偶然性を乗り越えようと試みたのだ。
<ハゲを克服した人は偉大である>
頭がハゲてくると多くの人は暗たんたる気分に陥る。
中には悩みぬいたあげく自殺に至るケースもある。
しかも第三者はしばしば、ハゲの滑稽さを「笑い」の対象とする。
多くのハゲは、ハゲてない部分の頭髪を伸ばし
ハゲた箇所をおおったり、かつらをかぶつたり
全頭髪を剃ることにより、ハゲを隠そうと試みる。
しかしそうしたことで、ハゲの悩みは解決しない。
ハゲは、大きな試練である。
ハゲで苦悩、葛藤し、それを克服した時
ハゲの人は大きく成長する。
神は、人を偉大にするため、髪をハゲさせたかのもしれない。
<大作「ゲルニカ」の本当の解釈>
ピカソは大作「ゲルニカ」を「戦争に対する抗議」と言い、多くの人がピカソの言葉を鵜呑みにしている。
しかしこれは間違っている。
「ゲルニカ」はピカソが子供の頃、喧嘩に負けたトラウマを絵画として表現している。
ピカソ自身、無意識に潜むこのトラウマを認識していなかった。
だから「戦争に対する抗議」などと訳の分からないことを言ったのである。
「ゲルニカ」の中央でいななく馬は、ピカソが喧嘩で負けたくやしさを表す。
天に向かって両手を挙げ助けを求める男は、喧嘩でパニックになった状況に救いを求めている。
死んだ子供抱きかかえ、泣いている母親は
ピカソが喧嘩に負け、うちのめされたのを母親になぐさめてもらいたい願望である。
「ゲルニカ」の上部に描かれている電球が放つ光は
喧嘩に負けたトラウマの解消の希望の象徴である。
<ダッチワイフを愛する悪友>
(この写真のネット上での公開は本人の承諾済みです)
パートナーがいない男性は、ダッチワイフを愛することにより
満足が得られる事が多々ある。
僕の悪友はダッチワイフを 愛撫し、こよなく愛す。
彼はダッチワイフを車の助手席に乗せて
ダッチワイフとデートを楽しむこともあるそうだ。
彼は言う「ダッチワイフは俺をいつまでも愛してくれる。
ダッチワイフと失恋の経験はない」。
彼は過去に何度か失恋し、頭がハゲ、スキンヘッドにしたら
女性から相手にしてもらえなくなったそうだ。
そのため、現実の女性は諦め
ダッチワイフとの恋愛を楽しんでいる。
<天才ニーチェ発狂の真相>
「天才と狂気は紙一重」という言葉がある。
たぶんこの言葉は、天才ニーチェの発狂に由来していると思う。
ある哲学者は、ニーチェ発狂の原因を、ニーチェが神を否定し、「超人」という概念を作ったが
所詮人間は「超人」になれるはずがないので、ニーチェは発狂した と説明している。
この哲学者による「発狂」の意味は、「ニーチェが統合失調症になった」ということだろう。
ところが統合失調症の原因は、現代の精神医学では脳内のドーパミン過剰分泌仮説が有力説である。
「超人」という概念を作った程度では、統合失調症にはならないだろう。
早稲田大学・第二文学部哲学科中退のお笑い芸人タモリが
ニーチェ発狂の原因は「ニーチェが梅毒に感染し、脳梅毒になったからだ」と言った記憶がある。
タモリの指摘は当たっていると思う。
なお感染性の脳脊髄膜炎であるとする説も多い。
<デカルトの馬鹿馬鹿しい妄想>
デカルトは「コギト・エルゴ・スム」(我思うが故に我在り)で、
全ての事は疑えても、それを思う自己の存在は疑う事なく存在していると
自己の実在を証明しているつもりになっている。
こんな言葉はデカルトの馬鹿馬鹿しい妄想に過ぎない!
「我思うが故に我在り」だけではすまされず
「”我思うが故に我在り”と我妄想する」が真理なのである。
<フーコーのエイズ死>
フランスの哲学者フーコーは57歳の若さでエイズ死した。
彼は窮屈なヨーロッパーを逃れ
カルホルニアのゲイ共同体の生活体験は
彼にとって快適だったそうだ。
フーコーのエイズ死は彼の運命だったのだろう。
<神・写真はジャガンナート神>
神は宇宙を、万物を、創造し人間を作った。
故にあらゆるものを超越している。
人間は神によって生かされているのであり
神に崇高な念を抱く。
厳かな神の前にひざまずき感謝を捧げる。
<カミュ=サルトル論争 『革命か反抗か』>
カミュは『反抗的人間』でマルクス主義を批判した。
サルトルは資本主義こそ批判すべきと論争になってしまった。
もちろんサルトルがカミュを徹底的に打ちのめした。
サルトルの論理的整合性はカミューとは比べものにならないそうだし
だいたい、カミュはノーベル賞受賞、サルトルはノーベル賞辞退。
ノーベル賞などというくだらない賞など必要はないのである。
サルトルはカミュと格が違うのだ。
だが20世紀最大の哲学者サルトルは「言葉の遊び」の
天才的テクニックの持ち主に過ぎないかもしれない・・・
つまり哲学とは「言葉の遊び」。
<ユング心理学の巨大ロケットの解釈の誤謬>
ユングの『人間と象徴』にはこのような記述がある。
「多くの現代人は夢や幻想のなかで
宇宙探検の巨大ロケットの飛行は
超越とよばれる自由や解放への欲求の20世紀における象徴的具体化として
しばしば現れる」
これは間違っているのである。
『人間と象徴』はユングの弟子達が書いた本である。
アホな弟子達は、ろくにユング心理学を知らなかったから、こんな誤りを犯したのである。
正しい解釈は以下の通り。
人類共通の普遍的無意識(ユング心理学用語)には、死という未知の世界を見たい願望がある。
それは大きな願望である。
現代人は、その大きな願望を巨大ロケットの飛行にたくし
現実世界を超越し、死に向かって飛び立ちたいと思うから
夢や幻想のなかに現れるのである。
つまり巨大ロケットを夢で見たり、幻想するのは
自殺願望によるものなのである。
つまり巨大ロケットの飛行は自殺願望を象徴している。
<怪物>
映画にはしばしば怪物が登場する。
人の心は葛藤し、それによる意識の歪の不安が無意識に常にある。
そのため人は、人でない物、例えば怪物になってしまうのではないかと恐れている。
怪物が人気があるのは、自己の内部の恐れを怪物に投射(心理学用語)し
自己の意識の統合性が回復するからである。
<馬鹿馬鹿しい「一厘事件」>
「一厘事件」とは、明治時代、タバコの葉、わずか一枚を
当時の専売公社に納入せずに自分で吸ったことから
煙草専売法違反罪にとわれた、一般人にとっては馬鹿馬鹿しい事件。
原則として有罪だが、大審院(現・最高裁)は
無罪と判決した。
日本法学史に残る事件である。
可罰的違法性の理論では違法性が阻却されるわけではないが
可罰的な程度の違法性がないとされる。
余談だが、出身二流大学の名誉教授が可罰的違法性の理論の権威のせいか
刑法の授業で、この馬鹿馬鹿しい「一厘事件」は詳しく習った。
<たぬきむじな事件と、大審院の馬鹿馬鹿しい判決文>
はっきり覚えていないが、「たぬきむじな事件」はこんな事件だった記憶がある。
ある地域で狸の狩猟が条例で禁止された。
その地域では狸を「むじな」とよんでいた。
猟師は、条例は知っていたが、狸をむじなと誤認し
狩猟し、罪を問われた。
この馬鹿馬鹿しい事件も大審院まで行ってしまい、無罪。
大審院の馬鹿馬鹿しい判決文
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<美>
なぜ人間は美に惹かれるのだろうか?
そもそも僕には「美」の意味が解らない。
広辞苑は「知覚・感覚・情感を刺激して内的快楽をひきおこすもの」
と説明ている。
この説明は「美」の一面に過ぎない。
「美」の意味を文章で表現できれば
ノーベル賞が取れるのではないだろうか・・・
<刑法学者団籐重光と小説家三島由紀夫自殺の関係>
三島は東大法学部出身である。
刑法の権威・団籐重光がこんなことを言ったそうだ。
「三島由紀夫君は、私の刑事訴訟法を勉強したから自殺した。私の刑法を勉強すれば自殺しなかっただろう」。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』には、このようなことが書いてある。
三島は「法学の論理的厳密性から文学面でも強い影響を受け
とりわけ團藤重光助教授から叩き込まれた刑事訴訟法の美しさに魅了される」。
<『地球の歩き方』の裏切り!>
僕が、旅を始めた当初は『地球の歩き方』はバックパックカー向けに編集されていた。
なお当時は「バックパッカー」という言葉はなかった。
安宿情報などが載っていてかなり、役立った。
とかろが『地球の歩き方』は休暇を取って、旅行する人達向けに編集方針が変わり
バックパッカーが泊まれそうもない高級ホテルや高級レストラン情報を載せるようになってしまった。
これでは、バックパッカーは利用しにくい。
僕のように『地球の歩き方』を買わず、現地で出会った日本人に『地球の歩き方』を借りて
内容をメモしたり、コピーしたりする輩がいるから
『地球の歩き方』がバックパッカーを裏切ったのも、もっともだと思うが・・・
なお『インド編』はまだバックパッカー向けのようだ。
<みどりさん伝説>
バックパッカーの間で、みどりさんという人の噂は異常な程有名だった。
おそらく日本人バックパッカー史上、最大の人物。
僕は初めて、みどりさんの噂を聞いたのは、1990年インドのカルカッタだった。
こういう噂だった。
「みどりさんという凄い女の子がいる。みどりさんは宿に泊まる時
宿の主人にセックスさせてあげるから宿代をただにしてくれと言った。
ところが、宿の主人だけでなく、従業員からも襲われた。
みどりさんは”約束が違う”と怒り、警察に訴えた。宿は営業停止になった。みどりさんは凄い!」
いかにもありそうな話で僕は本気にした。
しかし彼が「みどりさんは凄い!」」と言っているのが気になった。
僕には、多少性的に奔放な日本人の女の子としか思えなかった。
どうもみどりさんの噂は1988年頃発生したらしい。
元の噂は僕が聞いた噂とほぼ同じ。
みどりさんの噂は尾びれがつき世界中のバックパッカーに広まった。
「身体を売って旅している女」」とか「みどりさんが宿に向かって大声で怒っていたとか」。
みどりさんの噂は10年以上バッパッカーの間で盛んにされ、異常事態だった。
とうとう元バックパッカーで、有名な人が、みどりさんの噂を分析し
「たぶん、みどりさんは実在の人物ではないだろう」」と結論付けたせいか
みどりさんの噂は急速に消えてしまった。
噂の心理を考える時、みどりさんの噂は、大変興味深い。
<マルクス知ったか振り主義者>
『資本論』は商品の分析から始まる。
商品などという物は、誰でも知っている物だ。
ところが商品の分析は、かなり難解で
商品の分析が理解できれば、『資本論』は簡単に読み続けるれるそうだ。
僕は商品を真剣に勉強するのは、馬鹿馬鹿しい感じがしたし、難解なので
読むのは止めてしまった。
大学時代、マルクス主義にはかなり熱中したが
肝心の『資本論』を読んでなかったとは・・・
<フロイトの共産主義に対する予想>
フロイトは人間の攻撃本能の強さに着目し
共産主義の失敗を予想していた、ということを書いてあった本を読んだ記憶がある。
フロイトの予想通り、共産主義は失敗した。
だからと言ってマルクスの資本主義批判が否定される訳ではないだろう。
資本主義は人間の攻撃本能に基づいて成立しているのでは・・・
人間の攻撃本能の強さから考えて
今のところ、資本主義を選ぶしか仕方ない。
<歪曲された皇室報道>
海外でマレーシア人が僕に
「おまえは、天皇陛下が死んだ時、泣いたか?」と聞いた。
「泣いてない」というと、彼は怪訝そうな顔して
「なぜ? 新聞には”日本人は皆、泣いた”と書いてあった」。
日本のマスコミの皇室報道を見ていると、実に馬鹿馬鹿しい。
北朝鮮が金正日を讃える報道によく似ている。
実態を知らない外国人が、歪曲された皇室報道を真に受けてしまうこともあるだろう。
余談だが、ヒロヒトが死んだ時
アメリカのマスコミは「これで、第二次世界大戦の最後の死刑囚が死んだ」と
報道したらしい。
<サル学の権威・今西錦司の晩年の言葉>
今西錦司はサルを研究することで、人間を知ろうとした。
しかし晩年、今西は、「サルと人間とはあまりにも違い過ぎる」と言い、サル学を否定した。
立花隆は『サル学の現在』という本を書くにあたって
今西の死が近づいているのを知り
今西にインタビューした。
今西はこう言った。
「人間は、人と一緒にいたい動物だ」
立花は「でも、たまには1人になりたい時もあるでしょう」
「いや、いつも一緒にいたい」
やはり、今西はサルを研究することで、人間を見抜いたのだろう。
<ジョギング愛好家向雑誌『ランナーズ』のスポンサーへのへつらい>
『ランナーズ』は、膝の故障を防ぐため8千円以上のシューズを買うことを薦めている。
そして多くのジョガーは、真に受け、8千円以上の高価なシューズを買っている。
多くのシューズメーカーが『ランナーズ』に広告を出している。
そのため『ランナーズ』はシューズメーカーにへつらい
高価なシューズを読者に買うように薦めているのである。
僕は、過去、雨上がりの夜、ジョギングをして、雨溜まりにはまり
シューズがびしょ濡れになるという不快な経験が何度かある。
そこで長靴を履きジョギングをしてみた。
ゆっくりとしたジョギングなら、作業屋で売っている千円以下の
長靴でも、膝の故障の心配はないだろう。
<ブエブロ・インディアンの妄想による「気品」>
ユングがブエブロ・インディアンの集落を訪れた時、彼らの「気品」(崇高な美)に驚いたという。
ブエブロ・インディアンは自分達は、太陽の息子と妄想し、彼らは宗教儀式を行うことによって
太陽の運行を助け、全世界に貢献しているとも妄想していた。
ユングの彼らの「気品」に対するコメントは、こうである。。
「そのとき、私は個々のインディアンのに見られる「気品」と静かなたたずまいが
何に由来するかがわかった。それは太陽の息子であるということから生じている。
彼の生活が宇宙論的意味を帯びているのは
彼が父なる太陽の、つまり生命全体の保護者の、毎日の日没を助けているからである」
<ユングの人柄>
ユング心理学・研究者河合準雄は、ユングに「偉大な大聖人」というイメージを持っていたようだ。
河合は、ユングが死ぬ少し前に書いた手紙を知った
その手紙の内容は以下のようなものだったらしい。
「自分の仕事は誰にも理解して貰えず、
自分のしたことは誤りに満ちていたというようなことが
ふるえたせき筆跡で書いてあった」
河合は非常に驚き、ユングの弟子達に真相を聞いたが
誰も驚かなかったそうだ。
ユングの性格から考えて、こういう手紙をユングが書いてもおかしくないらしい。
ユングの弟子達は、ユングの偉大さを語ったが、彼の欠点も語ったそうだ。
弟子達は「聖人」というより「頑固おやじ」に近イメージを持っていたようだ。
<マッカーサーとヒロヒト>
あまりにも有名な写真。
ヒロヒトより偉いものはないと思い込んでいた日本国民に衝撃を与えた写真。
正装して直立不動のヒロヒト。
リラックスして、悠然と立っているマッカーサー。
ヒロヒトを馬鹿にしている雰囲気を感じる。
この写真一枚で、日本国民は、進駐軍の権力の凄さ見せつけられたのだろう。
<ドイツ人の優しさとヒットラー>
ヨーロッパを旅した時、ドイツにも行った。
ドイツ人は大変親切で心優しい人々という印象を受けた。
反面、なぜこのような人々が
第二次世界大戦中ヒットラーに翻弄され、残虐非道に暴走したのか
疑問に思った。
現代の日本人の親切さは世界的に有名である。
しかし ある外国人ジャーナリストは
「なぜ、こんな日本人が第二次世界対戦中、残虐行為をしたのか」と言った。
僕が旅を始めたのは1989年だったが
日本に侵略された国を旅すると、反日感情の強さを感じた。
<地元有力工場と僕との問題>
1993年地元有力工場と問題が発生した。
問題そのものよりも。その有力工場の揉み消しのインパクトが
地元民に与えた影響が凄いのである。
僕は、これにより権力の恐さを実体験した。
恐ろしさだけでなく、戦慄さえ感じた。
相談相手の何人かは「そんな事でいつまでも悩んで
人生を無駄にするつもりなのか」と言う。
しかし僕は、この問題により
社会、権力、人間の心などの問題に関して思索が深くなったつもりでいる。
<大江健三郎と「評論の神様」小林秀雄>
僕は、大江の初期の作品が好きだった。
ところが1970年頃から作風が変化し、難解になり、ほとんど解読できなくなった。
「評論の神様」ともよばれる小林秀雄と大江が話している時
小林はこう言ったという。
「君の文学はサッパり解らない。そもそも君の文学に対する姿勢に問題があるのではないのかね?」
これに対して大江は小林に泣いて抗議したという。
「評論の神様」が否定した大江文学に、ノーベル賞が与えられたとは・・・
なお日本初のノーベル文学賞は川端康成だが
川端文学に与えられたのではなく、日本文学に与えられた。
ところでノーベル賞を辞退すれば、さらに大江文学評価が高くなる。
なぜ大江はノーベル賞辞退という演習をしなかったのだろうか?
辞退すれば日本文学史に名を残しただろう。
海外では大江よりも、切腹自殺という演出をした三島由紀夫の方が評価が高い。
<太宰治葬儀の際の志賀直哉の嗚咽>
(このエピソードは記憶が曖昧なため間違ってる部分もあると思う)
太宰治は芥川賞候補になったが、芥川賞は取れなかった。
これに憤慨した太宰は、芥川賞選考委員の志賀直哉に怒りをぶつけ
志賀の家に石を投げる程だった。
太宰は志賀文学を批判するというよりも、喧嘩を売っている感じだった。
太宰が自殺し葬儀では、志賀直哉が追悼文を読んだ。
追悼文を読む時、、志賀は涙を流しながら嗚咽し言葉にならなかった。
志賀直哉は太宰の苦悩をよく知っていたのだろう。
<太宰治の苦悩は鉄棒で直る?>
三島由紀夫は、太宰のひ弱さから、「太宰の苦悩は、鉄棒をすれば直る」と言ったが
本当に、鉄棒をしたぐらいで直るのだろうか?
三島の太宰嫌いは有名で、三島は若い頃、わざわざ太宰に会いに行き
太宰に「私は、あなたが嫌いです」と言ったエピソードがある。
嫌いなら読まなければいい。
三島は太宰文学に相当衝撃を受けたのだろう。
太宰は身長175センチ前後だそうだが、三島は小柄で163センチしかなく、そのことで劣等感を持っていた。
三島はボディービルで身体を鍛え、筋肉隆々だったが、小柄なせいで、多少滑稽な感じだった。
身体を鍛えた三島も45歳で自殺した。
<三島由紀夫の自殺の原因は、肉体の衰えの恐怖か?>
三島自殺の原因にはいろんな説がある。
三島の最後の作品『豊饒の海』・第4部『天人五衰』の最後のほうに、老人の裸体の描写がある。
「鏡に映る自分の身体を検めた。胸の肋がことごとく影を刻み
腹が下へゆくほど腫れ、その腫れたかげに、萎え切った白隠元のようなものを垂らし
剃れたように肉の落ちたほの白い細い下肢へつづいている。
この醜さを見て自若としていられるには、どれほど永い自己欺瞞の年数役立っていることだろう」
肉体を鍛えた三島にとって、この老人のあまりにも醜く描写されている肉体は恐怖だろう。
『天人五衰』のの終わりは、見事な仏教的悟りの境地が描写されている。
最後の文章は 「昭和四十五年十一月二十五日」。
この日は三島が、市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部に乱入し
「天皇陛下万歳」を三唱し、切腹自殺を遂げた日。
<サルトルの平凡な墓>
パリのモンマルト墓地にサルトルは埋葬されている。
モンマルと墓地にはボードレールの墓を見るために行った。
ボードレールの墓は簡単に見つかった。
モンマルト墓地にはサルトルの墓もあるそうだ。
モンマルト墓地の有名人の墓に位置が書いてある標識を頼りに
サルトルの墓を探そうとしたが見つからない。
そこで、周囲の何の変哲もない墓に、サルトルの名前が刻んであるかよく見た。
とうとう見つけた。
サルトルとボーボーボワール(サルトルの愛人)の名が刻んであった。
これが20世紀最大の哲学者の墓とは思えない程、平凡な墓だった。
芥川の名言「人生はボオドレエルの一行にも若かない」という言葉を、なぜか思い出した。。
<サルトルのボードレール批判>
芥川は、その遺稿で「人生は一行のボオドレエルにも若かない」という名言を残し自殺した。
平凡な人生は、ボードレールの詩のわずか一行の美しさにも、及ばないという意味だ。
サルトルは『ボードレール論』で、「ボードレールの人生は失敗だった」と言った。
ボードレールは、自由についての感覚と好みを持ちながら
他者の目で見た自分を終生演じ続けた。
演技して、彼は自己の身体をあやつり人形にし、身繕いし、変装し、人生を終えた。
サルトルのボードーレール批判は、虚飾に満ちた人生を送っている人々に対する批判だ。。
<頭のハゲたヒトは、進化した人類である>
(この画像は、人類学者が未来人の姿を予想して描いたものである。未来人には頭髪がない)
進化論では、サルがヒトに進化した時、ある環境のせいでサルの体毛が抜けたというのが通説だ。
生物はいつも進化の途中である。
進化とは必要なものは強調され機能的になり、不必要なものは切り捨てていくことだ。
現在の人類は、体毛を失う過程の途中なのだろう。
やがてはすべての体毛を失うだろう。
ハゲはより進化した人類なのだ。
<ラジオ体操>
日本社会ではラジオ体操を慣行として行っている会社が多い。
異国人にとって、ラジオ体操の印象を、失笑を禁じ得ないと感じること多々ある。
以下のようなアメリカ映画を見たことがある。
アメリカの自動車工場が、日本企業に買収された。日本人達が壇の上でラジオ体操を始めた。
アメリカの工員達は、日本人達がラジオ体操をしている光景を見て
腹をかかえて笑っていた。
彼らにとってラジオ体操は滑稽極まりないのだろう。
またこういうエピソードがある。
NHKの国際放送ラジオジャパンがラジオ体操の音楽を流した。
これに対し抗議が殺到したらしく
ラジオジャパンは「人手が足りなかったもので、あのような放送になってしまいました」
と謝罪したらしい。
確かに、開放的な海外でラジオ体操の音楽を聞けば
僕でも著しい不快感をもようすだろう。
<ショッピングセンターに行け!>
聖なる湖がある街・プシュカル。
インドのヒンズー教の聖地の1つだ。
1998年の時点では、プシュカルは欧米人バックパッカーの溜まり場だった。
僕が、湖のほとりに立っていると、おじさんが花束を買うように勧めた。
たぶんその花束は神に捧げる花束だろう。
しかし、僕は買わなかった。
すると、おじさんは「ショッピングセンターに行け!」と怒鳴った。
なるほど、聖なる湖のほとりにいる人は非常に少ないが
土産物屋街は大勢の人々で賑わっていた。
人間は聖なる湖より、商品のほうに惹かれるのだろう。
<ジアゼパム>
イランはイスラムの戒律が厳格で、酒は飲めない。
1991年、イランに行った時、籠を持った物売りの少年がいた。
籠には日常雑貨品がのっていた。
その中に薬があった。その薬をよく見ると、代表的な抗不安薬ジアゼパムだった。
この薬は日本では医師の処方箋なしには手にはいらない。
また薬局に睡眠薬を買いに行ったら、錠剤のジアゼパムだけでなく
驚いた事に注射液と注射まで出された。
なお日本ではアルコール依存症の患者に、アルコールの代わりに抗不安薬を飲ませて治療することがある。
<経済発展の象徴・中国の超高層ビル>
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中国で超高層ビル建設ラッシュが始まったのは1995年頃だっただろうか。
超高層ビルには入居している会社はほとんどなく、ガラガラだった。
2002年に行った時も同じような状況だった。
上海人は、2002年当時「上海は東京を越えた」と自慢そうだったが
東京を越えたのは、超高層ビルの規模だけだろう。
あの採算がとれない超高層ビルは、国が作ったそうだ。
<イスラムの神聖な戒律破り>
1994年エジプトに行った時、断食月(ダマダーン)の最中だった。
断食月は、日の出から日没まで食事をしてはいけない。
食堂は営業してなかった。
高級ホテルに行けば、外国人は食事はできるだろうが
僕は貧乏旅行で、そんなところへは行けなかった。
カイロの町を歩いていると、ファーストフードのピザハットを見つけた。
銃をもった警備員が店の前に立ち、物々しい雰囲気だった。
店の中をのぞいて見ると誰もいなかった。
警備員が「2階に行け」と言った。
2階では大勢の若いエジプト人が神聖なイスラムの戒律を破り
ピザをほうばっていた。
<たかちゃん>
バンコクには世界最大のバックパッカー街カオサンがある。
1990年の後半頃の『地球の歩き方』は
たかちゃんをカオサンの要注意人物として取り上げた。
『地球の歩き方』によると
たかちゃんは、カオサンの日本人が経営する旅行代理店で働いて
日本人の女の子の手を人前で握りしめたりする。
人が注意しても、「勝手だろ!」と開き直る。
僕もカオサン通りで、ハンサムなたかちゃんが女の子と座り込み
手を握っているのを何度か見かけたが、女の子は嫌がっている様子もなく
むしろうっとりとした表情をしていた。
僕は嫉妬しか感じなかった。
たかちゃんの目立った行為は問題あるかもしれないが
女の子を部屋に連れ込みセックスしても何ら問題にならないはず。
『地球の歩き方』が、たかちゃんの、人前で女の子の手を握るだけの行為を批判したとすれば
幼稚過ぎる。
<印象の違い>
1991年、エルサドバドルを旅した。
その数年後、ほぼ同時期にエレサドバドルに行った人が書いた本にはこのようなことが書いてあった。
「内戦や大地震にみまわれながらも、人々の明るい笑顔が印象的だった」
しかし僕には、人々の視線が定まらない うつろな目が印象的だった。
<アジアの食文化を変えた偉大な「味の素」>
(写真はタイで売られているTシャツ)
アジアの国々を旅していると
たまに日本人の僕に向かって「アジノモト!」と言うヤツがいた。
僕の記憶によるとある本に
「タイの食文化は味の素が変えた」と書いてあった。
中国の安食堂で焼き飯を注文した。
作っている時、袋から大量の粉をフライパンに入れた。
何だろうと思い袋を見ると
「味精」と書いてあった。
味の素の主成分・グルタミン酸ナトリウムは、中国では「味精」と呼ばれている。
現在では、中国料理には欠かせない調味料となっているらしい。
中国は4千年の食文化を持つと言われるが
味の素により、その歴史は変化するかもしれない。
<バンコクのシーク寺院>
2005年、バンコクの超安宿の日本人宿に滞在中
知人が、朝食が無料で食べられるシーク寺院を教えてくれた。
そのシーク寺院は、日本人宿から2キロ位の距離だった。
無料で朝食が食べられるシーク寺院で食事をしているインド人は
なぜか、その服装から見て上流階級のインド人だった。
貧乏そうなタイ人は一人も見なかった。
知人の話によると、インド人は朝食が無料にもかかわらず
シーク寺院で働いているタイ人に、法外なチップを渡す人もいるそうだ。
そのシーク寺院では、上流階級のインド人以外は
貧乏そうな日本人しかいなかった。
これでは、そのシーク寺院は
「日本人お断り」の貼り紙を張るだろう。
<猫田猫氏>
(うつむき加減の男が猫田猫氏。場所はインド・バラナシ・久美子ハウス)
猫田猫氏はバックパッカーの間では有名だった。
彼は、自称、猫田県猫田市、猫田大学卒。
よくバラナシの久美子ハウスに長期滞在していた。
久美子ハウスのオーナーの久美子さんも
猫田氏を「最近の長期滞在者では、最も変わった人」と言ったそうだ。
日本のお笑い番組が、インドまで行き
猫田氏に帰国するように説得したが
彼は拒否した。
なお現在、猫田猫氏・交通事故死亡説が有力。
<没有!(メイヨー!)>
まだ共産主義と称されていた中国で、せっけんだったか、ボールペンだったか、日用品をデパートで買おうとした。
安っぽいものが大事そうにショーウインドウの中に入っていた。
店員に「これをくれ」と指さすが、店員たちはおしゃべりに夢中で、相手にしてくれない。
なんとか買おうと店員に話かけるが、彼女は不機嫌そうな顔をして、「没有!(ない!)」と怒鳴った。
シヨーウインドウの中にちゃんとあるじゃないか!客に商品を売るより、
自分たちのおしゃべりのほうが大切なのだ。
汽車の切符を買おうと数時間並び、やっとたどりついた窓口で「没有!」と怒鳴られ
ホテルのフロントで「部屋はありますか?」と尋ねたら「没有!」と怒鳴られた。
空き室があっても、服務員が気が向かずチェックインの手続きが面倒なときは、「没有!」と言って断ることがあったらしい。
共産主義の風潮が濃く残っていた時代は、「お客様は神様」でなかった。
客はホテルに泊まらせて頂く、商品は売って頂くという低姿勢で、接しないと
「没有!」と怒鳴られ、一蹴されることがしばしばあった。
中国での衝撃は、万里の長城などの遺跡や広大な自然ではなく
剣のある言葉「没有!」だった。
バックパッカーが書いた旅行記に「没有の嵐」という表現があるが
まさに「没有の嵐」の中を進んで行く、苦難の旅だった。
欧米人バックパッカーの溜り場・陽朔に「没有飯店」という傑作な名前のレストランがあり
「没有」と書かれた特製Tシャツが売られていた。
僕はすっかり気に入った
しかし、「没有Tシャツ」を着て、日本人バックパッカーに会うとヒンシュクを買うのだ。
「没有」という漢字を見ただけで気分が悪くなる日本人バックパッカーがかなりいるらしかった。
疲れてしまって着るのはやめた。
最近の中国は資本主義経済の発展により、客を大切にするようになり「没有!」は死語となった。
2002年に中国を旅した時、「没有」と言われることはよくあった。
しかしあっさりした口調で、気にならなかった。
「没有!」と怒鳴られることはまずなくなった。
「没有の嵐」は去った。
誰かが言っていたように、「没有!」のない中国はもはや中国でない。
僕は、夏の日本で「没有Tシャツ」を着て、時々外出するが
人々は無関心で「没有Tシャツ」を着ていても平穏無事な日々が送れる。
共産主義色が濃かった中国を、個人旅行した人間でないと
「没有!」=「ない!」の凄まじいインパクトは全く理解できないだろう。
<海外でのホモ体験>
男のバックパッカー達から、時々ホモ体験を聞かされた。
ホモに手を握られたとか、バスの中で身体を摺り寄せてきたとか。
僕もその程度のものだった。
ところがバックパッカーが出入りする掲示板に
あまりにおぞまし過ぎるホモに襲われた体験談が綴られていた。
その生々しい描写から、創作ではなく実体験だろう。
男のバックパッカーの中には、同じような体験をした人も多いのではなかろうか・・・
ただそんな体験は人前で口に出せないだろう。
ところで、写真を貼るにあたって
ゲイ向けのサイトを探した。
海外のサイトでは、自分自身が見ることができない角度で写された「モノ」の無修正の写真が多くあった。
ゲイと僕との感覚はあまりにも違い過ぎる。
無修正写真を見て、あまりにおぞまし過ぎる体験談も本当だろうと実感した。
<中国のインチキ薬>
中国のテレビ・コマーシャルを見ていると
若いのに頭頂までハゲあがり
彼が、鏡を見て、いかにも悩んでいる表情だった。
彼は薬を頭に塗っていた。
数ヶ月後、彼の頭がふさふさになり
明るい表情でスキップをしていた。
こんなハゲに効く薬はあるはずないだろう。
余談だが、中国は自転車社会だった。
ハゲの人で、ハゲていない部分の髪を極端に伸ばし
ツルツルの頭頂を隠している人がいるが
自転車に乗っているため、風圧で髪が飛ばされ
反対方向に、長い髪が垂れ下がっているのを時々見かけた。
日本では、見たことがない。
<二枚目俳優田宮二郎・自殺の謎>
「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」というラジオ番組があった。
その番組は本来、誰も聞かないよな日曜日の深夜にあり
しかも放送終了時間が決まっていなく、最初の頃は、聴く人はほとんどいなかった。
滅多に聴く人がいないので、最初の頃はスポンサーはつかなかった。
誰も聴かないような頃、芸能界の裏事情に詳しい放送作家・新野新はこのようなことを言っていた。
田宮二郎はかつらをかぶっている。
勝新太郎が田宮二郎に「おまえ、最近、頭が薄くなってきたな」と言ったら
田宮二郎は、取り乱す程、激怒したらしい。
田宮二郎自殺直後、マスコミは田宮二郎自殺の原因を議論したが
「田宮さんは、ハゲを苦に自殺したのではないでしょうか?」などという人はいなかった。
新野新の話から「ハゲを苦に自殺したのでは?」と僕は思った。
「田宮二郎 ハゲ」で検索して見ると
僕と同じ考えの人がいた。
<C・G・ユング箸『空飛ぶ円盤』>
心理学者ユングは『空飛ぶ円盤』という本を書いている。
本の題名から、歴史に名を残す学者が書いた本とは思えない。
僕はこの本を読んでないので
『空飛ぶ円盤』の解説をコピー。
いわゆるUFO(Unidentyfied Fling Object:未確認飛行物体)
これを「心理的、内的ファンタジーの投影」と見るユング。
この着想からだと、一見狂っているとしか思えない精神病者の妄想妄言が、意味のある事であると分かり、
それを病理現象とだけしか見ない精神医学の立場より数段治療的観点であると言える。
いわゆる「霊感、霊視」の類の殆どもこれと同列で語ることが出来るが、、、。
ユングの素晴らしい点は、客観的、実存的、物理的と我々が認識していること、と、主観的、内在的、心理的な事象とが
想像する以上に区別でき得るものではない事を
そしてその「区別できないもの」をどう区別するのか、に挑んでいる点である。
<ジョギングの教祖の突然死>
1984年ジョギングの教祖といわれた
ジェームス・フィックス(52歳)がジョギング中に心筋梗塞で突然死する衝撃的事件があった。
僕は若い頃、ジョギングどころか、坂道の全力疾走など
1分間の心拍数が200を超えるトレーニングをよくしていた。
しかし全く心臓に問題はなかった。
ただ平常時の1分間の心拍数が40を切ってしまうよになった。
これは「スポーツ心臓」で病気ではない。
中年になり、軽いジョギングを再開した。
するとジョギングの教祖の突然死を思い出してか
心臓が突然停止するのではないか?と不安を感じた。
医者に診てもらうと「問題ない」。
不安なら、ジョギングを止めたほうがいいと助言された。
<性同一性障害>
性同一性障害とは精神的には身体的性別とは反対の性に属するとした方が自然であるような状態の事である。
日本人は性同一性障害者に強い偏見を持ち
僕の地元鳥取でカミングアウトすれば、職に就けないではなかろうか?
治療方は、ホルモン治療、性転換手術などがある。
しかし最も大切なことは、性同一性障害者に対する偏見をなくすことだろう。
<同性愛小説『禁色』>
禁色とはホモセクシャルの意味である。
三島由紀夫が男性以上の男性になろうとボディービルを始める以前の
ひ弱肉体の時期に書いた小説。
『禁色』の荒筋
一生、女に愛される事が無かった老作家・檜俊輔は、美青年南悠一が同性愛者であることを知り、
この青年を利用して恨み深い現実への復讐を企てる。
美青年南悠一はのモデルは、実在の人物で、三島と恋愛関係にあったという。
三島と共に切腹自殺をした森田必勝そっくりという証言もある(木村徳三『文芸編集者その跫音』)。
森田必勝は三島と恋愛で結ばれていたから、運命を共にしたのかもしれない。
<三島由紀夫の首が落ちるまで>
参考文献・複数
1970年11月25日、三島由紀夫は「盾の会」メンバー、森田必勝(25)、小川正洋(22)、古賀正義(22)、古賀浩康(23)を引き連れて、市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部に侵入し、陸将の益田兼利総監を監禁して立てこもった。これを阻止しようと総監室に入った中村二等陸佐は、三島の日本刀で左腕を切られて重傷を負うなど8人の自衛官が負傷した。
その後、三島はバルコニーへ出て約1000人の自衛官の前で檄文の垂れ幕、びらをばら撒き、戦争放棄の憲法を否定し、自衛官に対して「共に起ち、義のために死のう」と必死に呼びかけたにもかかわらず、自衛官達は野次を飛ばしたり、からかったり、あざ笑っていだけだった。
30分を予定していた演説は、10分程で終わり、三島と森田は皇居に向かって「天皇陛下万歳!」を三唱し、総監室に戻った。三島は上着のボタンを外し、ズボンを押し下げ、座った。短刀を腹に刺し、右へ向けて横一文字に引いた。腸が床の上に溢れ出た。森田は日本刀で三島の首を落とそうとしたがうまくいかず、もう一回、三島の首に日本刀を打ち下ろしたしたが、やはり落ちなかった。三島は舌を噛み切ろうとした。次に古賀浩康が日本刀を、三島の首に打ち下ろし、ついに三島の首が床に落ちた。
<NHKの美人キャスター宮崎緑の熱い視線>
(写真は、千葉商科大学・助教授になった宮崎緑。僕が会った当時は、もっと美しかった)
1991年、ギリシャのパルテノン神殿を歩いていると視線を感じた。
何だろうと見ると、観光用の馬車に乗った、NHKのニュースキャスター宮崎緑が
僕を見つめていた。
有名な美人キャスターから見つめられ、嬉しかった。
この思い出は、僕の旅の大切な思い出だ。
<梅川昭美事件>
1979年1月26日、大阪市の三菱銀行北畠支店に、猟銃をもった梅川昭美(30)が
猟銃を一発撃ちながら乱入。
行内のカウンターで「金を出せ、出さんと殺すぞ。10、数えるうちに5000万円出せ」と要求。
これを見た行員の萩尾博さん(20)は警察への非常電話に手をかけた途端、梅川は猟銃を撃ち射殺した。
梅川は、行員に命じてシャッターを下ろさせ机やソファーでバリケードを築く。女子行員20人を全裸にさせる。
この事件を、世の男性達が大変興味を持ったのは、週刊紙のこのような記事を見てだろう。
梅川は全裸の女子行員達に「ケツを見せるんや!」と言って、四つんばいにさせた。
気にいった数人の女子行員を、自分が座っている椅子の前に呼び、彼女らの股間を銃の先でこづきまわした。
この事件は、梅川が立てこもり中、警察隊が外部から射殺し、幕がおりた。
全裸の女子行員達に、梅川はこう言ったという。
「エロ記事書きさえすりゃ、新聞や週刊紙が売れると思うさかい
面白おかしゅう書きたれるかもしれへん」
<「宇宙人」2006年時点で健在>
日本人バックパッカーの世界で名を残した人物、通称「宇宙人」。
「宇宙人」死亡説もささやかれている。
蔵前仁一著「ゴーゴーインド」(?)に、1980年代の「宇宙人」のイラストが描かれている。
2006年冬、バンコクで「宇宙人」と会った。
蔵前仁一のイラストは「宇宙人」が30歳前後の頃だろう。
もう50歳は超えているはずだ。
しかし、蔵前のイラストと50歳を超えた「宇宙人」はよく似ていた。
<トラベルの語源・トラブル説>
(バックパツクの上に大きな寝袋を載せているのは、トラベルをしていた頃の僕。背後に雲のように見えるのはヒマラヤ山脈)
バックパーカーに人気のある掲示板で、「トラベルとツアー」の違いを議論していた。
「トラベル」の語源はラテン語の「拷問」だそうだ。
僕は何かの本で「トラベル」の語源は「トラブル」と読んだ記憶があるので
その掲示板にこういう書き込みをした。
「トラベルの語源は”トラブル”だから、バックパッカーは
トラブル好きな人が多いのではないでしょうか?」
この書き込みで、僕はヒンシュクを買ってしまった。
しかし、僕の旅の体験はトラブルの連続だった。
昔、ガイドブック無しで旅した人は、凄いトラブルに見舞われながら
旅したのだろう。
<ダイヤモンド社『地球の歩き方』、もしくは『地球の迷い方』>
僕が旅をはじめた当初は、日本人バッパッカーのほとんどが
『地球の歩き方』を持って旅していた。
当時、『地球の歩き方』は、バックパッカーの間では『地球の迷い方』とも呼ばれていた。
実際、僕も『地球の歩き方』の情報を頼りに旅をしたが
『地球の歩き方』の地図の方向(N↑)に誤りが多く
海外の町を歩きながら、迷ってしまったことが何度かある。
特に「中欧編」の安宿情報は、わざと間違えた情報を載せているのではないか?
と思う程、誤りが多過ぎた。
なお、その後『地球の歩き方』は、金のある一般旅行者向けに編集方針を変えたので
最近の『地球の歩き方』の情報の信憑性については、僕は知らない。
<1996年「猿岩石 ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」>
「進め!電波少年」の企画で、お笑いコンビ猿岩石を、10万円以下の予算で
香港からロンドンまで行かせた。
同じような旅を経験した僕には、当初は興味深かった。
ところが、嘘、演出がありありと分かり、馬鹿馬鹿しくてあまり見なくなった。
猿岩石はロンドン到着後、日本に帰国すると
大人気者になった。
しかしバックパッカー向け雑誌の猿岩石非難は厳しかった。
その編集長は、このようなことを言っていた。
「テレビ番組にヤラセが多いことは知っていたが、これ程ヒドいとは思わなかった」
なお2000年を過ぎて、海外で日本人が「香港からロンドンまで、10万円以下で行けるはずない」
と言ったが、1996年の時点では、ヒッチハイクをしなくても
交通機関を利用し、10万円程で行けるだろう。
1991年、僕の上海からイスタンブールまでの2ヶ月予算は8万円以下だった。
さらに物価の高いヨーロッパをのんびりと観光しながら、1ヶ月かけて進み
ロンドンに着いた時も、30万円以下だった。
ヨーロッパを一気に突っ走れば、10万円程で済んだだろう。
<『深夜特急』>
この本はバックパッカーのバイブルと言われている。
1970年前半、沢木耕太郎は陸路で、
インドのデリーからロンドンまで行く計画を立てた。
沢木はこの計画を知人に話すと、半数ぐらいの人が不可能と言ったという。
当時としては冒険だったのだろう。
(このルートは当時のヒッピー達にとっては平凡なルートでは?)
しかし現在ではデリー・ロンドン間のルートの情報が豊富にあり
健康であれば誰でも行ける程度のルートになってしまった。
僕が『深夜特急』を読んで印象的だったのは、このような話だ。
沢木はギリシャからイタリアに向かう船で、ウィスキーを海にそそいでいた。
欧米人が不審に思い、「何しているの?」「時の流れに乾杯しているのさ」
「時の流れに乾杯」は意味が分からなかったが、感動した。
「時の流れ」は死をイメージする。
ボードレールの「旅」という詩の最後は、このように終わっている。
おお 死よ、老船長よ、時が来た! 錨をあげよう。
この国には飽きた。おお 死よ!船出しよう!
空と海とが インキのように 黒くても、
おまえの知っているぼくらの心は 光にあふれている!
ぼくらを元気づけるために おまえの毒をそそげ!
その炎に ぼくらの脳髄まで焼かれ、
ぼくらは 地獄でも天国でも 平気だ、
深淵の底に飛び込みたい、
未知の奥深く 「新しいもの」 を捜すために!
<旅で「死」に直面>
インドのブッガヤという村に行った。ブッタが悟りを開いた地だ。
ブッダが修行した正覚山が見えた。歩いて行くことにした。
ところが、なかなか正覚山に着かない。
空気が澄んでいたせいか、錯覚して近くに見えたのだろう。
やっと正覚山に着いた。
村に向かって帰り始めた。暑い!
村まで後、2キロぐらいのところで、意識がもうろうとしてきて
耳の中に水が入った時のように、耳から「ボー」という音さえ聞こえ始めた。
周囲には人は誰もいない。倒れれば確実に死ぬ。
若い頃、「死」を賛美する文学に惹かれたが、それどころではない!
ここはブッダが悟りを開いた地つまり、涅槃に入った地。
涅槃とは、「死」という解釈もある。
このような地で死ぬのは本望と思われるかもしれないが、とんでもない!
必死に頑張り歩き続け、村の茶店に辿り着いた。
消耗して幽霊のような声で、チャイ(ミルクティー)を頼んだ。
手をガタガタ震わせながら、チャイを飲んだ。
すると急に楽になった。
なんとか命拾いした。
<『維摩経』>
「維摩の一默 響き雷の如し」という有名な言葉で知られている『維摩経』。
『維摩経』はお経というより、小説だろう。
維摩は菩薩たちに質問をした。
「菩薩が不二の法門に入るということがありますが
そうれはどいうことなのか説明して頂きたく存じます」
多くの菩薩たちが、それぞれの見解で不二の法門について説明した。
最後に文殊菩薩が維摩に言った。
「我々はおのおのの説を述べたのですが
あなたにも不二の法門について何か語って頂きたいのですが」
その時、維摩は、口をつぐんで一言も言わなかった。
これが後世「維摩の一默 響き雷の如し」と言われる。
つまり維摩は、一言も言わなかったことで
多くの菩薩達の説を、圧倒してしまった。
<エポケー(判断中断)>
エポケー(ギリシャ語)とは、現象・事物の真の性質は認識不可能であり、判断をしないことで心の平安を得ようとするもの。
講談社現代新書『現代哲学事典』より
「・・・現代の哲学ではエポケーという言葉は
フッサルーの現象学で復活され、現象学的還元ともよばれた。
これは事実的世界の存在に関する指定を括弧に入れ
その後に残る純粋意識の領域を反省にもたらそうとする方法である」
<不可知論>
不可知論とは、よく分からないが、
人間の脳の構造では、物事の本質は理解できないとする主張と解釈していいと思う。
人間が見る世界と、カタツムリが見る世界とは違うはずだ。
カタツムリの先祖と人間の先祖は同じだ。
両者ともDNAにより、作られている。
もし宇宙人がいて、その宇宙人がDNAで作られていなければ
物事の見方、考え方は、人間と全く異なるだろう。
その意味でDNAで作られた人間の脳には普遍性がない。
人間の脳に普遍性がないことで、不可知論は肯定せざるを得ない。
<精巧な眼球を持ったカタツムリ>
ある種のカタツムリは、精巧な眼球を持っているそうだ。
しかし、そのカタツムリには、その精巧な眼球を使う脳がないそうだ。
ダーウインの進化論では説明できない。
そこで、このカタツムリに関しては以下のような説明がある。
ウィルスの中に、進化した眼球の遺伝子が含まれていて
カタツムリに、そのウィルスが感染したのではないだろうか?
<フンザの満点の星空と辻みゆきの目>
(実際この画像のように見えた)
ヒマラヤ山脈の中にあるパキスタンのフンザという村に行った。
夜、食堂から出ると仰天してしまった。満天の星空!
雲がかかったように見えるのが天の川らしい。
ゆっくり動く人工衛星まで見えた。
いろんなところで星空を見たが、こんな凄まじい星空は見たことがない。
星空というより宇宙を見ているような神秘的な感じだった。
ガイドブックにこの星空のことは触れてないので、かなり運が良かったのだろう。
数年後、地元鳥取市の図書館で、辻みゆき著「女ひとりドケチ旅」という本を見つけた。
彼女は中国からパキスタンに行くバスで一緒になった人で
同じ日にフンザにいた人だ。彼女も著書の中で、この神々しい星空のことに触れている。
なお彼女の目には分裂質が濃厚に出ていた。
僕は「この女の子は、これからどういう人生を歩むのだろう」と心配した。
しかし、ドイツで幸福な生活を送っているそうだ。
分裂質が濃厚に出ている三島由紀夫の目。
<記憶が白紙状態>
1996年、1ヶ月間、西ヨーロッパをユーレールパスを利用して旅した。
ユーレールパスは、乗り放題だから、時刻表を丹念に見ながら
貪欲に多くの町に行った。
行った町の名前はメモしている。
最近そのメモを見ると、行った記憶のない町が幾つかある。
あまりに急ぎ過ぎた旅だったから、記憶に残らない町があっても仕方ないだろう。
<昭和最大の政治家と言われる田中角栄>
田中角栄に関する逸話は何度か読んだが
僕の田中角栄に対する印象は、彼の巧みな演出振りだ。
田中派の議員達は田中を「おやじ」と言い慕っていたそうだ。
田中の演出に周囲の政治家達が騙されて、田中を54歳の若さで、総理大臣にまで担っぎ上げたのだろう。
後年、公になった田中派の選挙戦術にこのようなものがある。
「田舎で、立候補し、立会い演説会で、2人しか集まらなかったらチャンスと考えろ
内容はどうでもいいから、必死に熱弁をふるえ。そうすれば”あいつは、凄いヤツだ”
という噂が広がり、当選する」
田中角栄を失脚に追い込んだのは立花隆と言われているが
田中というボスに翻弄されている、愚かな人々を観察して
立花はどう思ったのだろうか?
立花はその後『サル学の現在』という本を書いたが
僕には田中に翻弄された人々が、サルに見える。
<トーストの焼け具合により、死刑は決まる>
大学時代、ゼミで教授が
「裁判官が、犯人を死刑にするかどうかは
朝食のトーストの焼け具合で決める」と言ったが
これは、あながち冗談ではないだろう。
裁判官といえども所詮人間だ。
法廷では、きちんとした敬語を使わないと
裁判官の「心証を害する」。
気分に作用され判決を下す場合もある。
朝食のトーストの焼け具合が悪く、裁判官が気分を害せば
その怒りを犯人にぶつけ、死刑と判決する事もありえるだろう。
<みどりのくつした(本名・西本健一郎)氏>
(この人は、幾つかの著作(宝島社発行)があり、この写真は肖像権侵害に該当しない)
みどりのくつした氏は幾つかの本を出版し
また190ヵ国以上旅した人。バックパッカーの間では、かなり有名。
しかし彼は、ネット上では、非常に嫌悪されている。
彼の発言を読むと、的確に的をついていると思う。
但し、少し辛辣。
なぜ多くのバックパッカー達が、みどりのくつした氏を、非常に嫌悪するのか
僕には、分からない。
この人のHP「世界旅行者みどりのくつしたの部屋」の内容は、他のバックパッカーサイトを凌駕している感じがする。
(なお、この問題については、検討する必要があるので、今後文章を書き直す)
<ユーモア>
参考文献・『夢と昔話の深層心理』
フロイトはユーモアとは「自我の不可侵性の貫徹」のためにあるという。
例えば自分が凄い重荷を背負うたとしても、フッと笑うことで
耐え難いことも、快楽と受けとめられるのだということを示すことになる。
フロイト説では、笑って、どんどん世界を広げていくのがユーモア。
<脱ぐ>
参考文献・『動詞人間学』
一般的に衣服を脱ぐことにはある種の解放感がある。
それは衣服というものが、文明と深く結びついているからだ。
アダムとイブの伝説はそのことを象徴的に物語っている。
彼らが「いちじくの葉をつづり合わせて腰に巻いた」(『創世記』)時
人類の文化が始まった。
衣服なしくしては権威も秩序もありえず
文明社会の全機構が溶けてしまうだろう。
だからこそ文明は、脱ぐことに様々なタブーを課して
「着衣の世界」を守ろうとするのである。
<「評論の神様」・小林秀雄の独特な話し方>
以下の文章は小林秀雄のインタビュー記事。
「あの人の作品をよく読み、あの人と親しく交際してゐた人達にしても
かういふ事になつて、皆愕然としただらうと思ふのです」
「なって」ではなく「なつて」と書いてある。
小林秀雄の対談集を読むと
「でしょう」を「でせう」と言うのが口癖だ。
本当に、小林の話を、そのまま文章にしたのだろうか?
たぶん小林を「評論の神様」と思い込ませるために、このような表現を使ったのだろう。
<おいしいゆで卵の作り方>
まず、鍋に水と塩を入れ、水の温度を50度程にする。
次に冷蔵庫の卵を、温水に入れる。
卵が温まったら、温水から出す。
鍋の水が沸騰したら、卵を入れ、4分程待つ。
4分程過ぎたら、火を消し、水を入れ、温度を80度程に落とす。
そして10分以上待つ。
すると、白身の部分が堅くはなるが、黄身の部分は柔らかくなるゆで卵が出来上がる。
<僕の人生を狂わせた太宰治>
中学3年の時、太宰の本を読んだ。
彼の本を読み、世の中に僕と同じ考えを持つ人がいるのか!と驚いた。
太宰に憑かれてしまい、すぐに文庫本の太宰の著書は全て読んだ。
特に太宰文学の退廃性に惹かれた。
多感な頃、熱中した文学は、一生心に刻まれるだろう。
その後、僕が、非常識な言動を取るようになったのは太宰文学の影響だろう。
1993年、地元有力工場と問題が発生して、人生が狂ってしまったが
これは僕の非常識な言動が原因とも考えられる。
大人になり、太宰文学に、僕の人に知られたくない面を感じ
太宰に生理的嫌悪感を抱くようになった。
なお太宰の有名な健全な作品『走れメロス』は全く、僕の人生に影響は与えていない。
<『走れメロス』>
(このエピソードは記憶が曖昧なため間違っているかもしれない)
太宰治『走れメロス』の粗筋
メロスは王を激怒させ、処刑が決まった。
しかしメロスには、離れた村で妹が結婚式に出席をするため
王に3日の猶予を申し出た。
そしてメロスは友人を人質にした。
王は「逃がした鳥が帰って来るのか」とあざ笑ったが
メロスの申し出を聞き入れた。
人質の友人が処刑される直前、メロスは帰って来た。
王は、その友情に感動し、メロスは処刑されなかった。
太宰はこのような体験を基に『走れメロス』を書いたそうだ。
太宰は金に困り、友人から借金をした。
ところが金を返せない。
借金返済を待っている友人の心情を想うと、太宰は友人に気まずくなった。
友人の辛さより、友人を待たせる自分の辛さのほうが大きいと太宰は思った。
そこで『走れメロス』で、処刑される友人よりも、その友人を待たせる自分の辛さを表現した。
<旅は楽しむもの?>
(写真はコパンガンのフルムーンパーティ)
タイのコパンガン、過去はヒッピー達が集まる島として知られていた。
1998年、コパンガンに2ヶ月滞在した。
旅を始めて、9年以上経った頃だが、2週間以上の長期滞在は始めてだった。
ビーチでは欧米人の女の子達の多くが、Tバック一枚の姿だった。
時々、日本人の女の子もいた。
僕は、その日本人の女の子にちょっかいを出して遊ぶために
2ヶ月もコパンガンに滞在したようなものだ。
知り合った女の子と別れ際、彼女は「楽しんでね」と言った。
僕は一瞬「え?」と思った。
旅の経験は9年間だったが
旅とは楽しむものだったとは・・・
(なお現在のコパンガンは観光化が進み、Tバックの日本人はいないらしい)
<サトシ>
サトシ(自称)とは、1997年前後、日本人バックパッカーの間で
最も有名なインド人。
カルカッタの日本人宿パラゴンホテルの前で絵葉書を売っていた。
サトシは子供の頃から多くの日本人と接したせいか、日本語がペラペラ。
特に流暢な大阪弁を話すことで有名だそうだ。
僕がサトシと話した時、標準語で話していたが・・・
東京人で、標準語と大阪弁を使い別けができる人は、どれぐらいいるだろうか?
その意味でサトシは、天才的語学力の持ち主だろう。
最近、サトシの噂の聞かないが、元気にしているのだろうか?
<首長族のみやげ物村>
タイのメーホンソンで、近くに首長族の村があるというので行って見た。
村の入場料が高い!
入場して村に入ると、首長族がみやげ物を売っていた。
どうも、この村の首長族達は、観光収入で生活してる雰囲気だった。
僕が泊まっていた安宿には、日本語の情報ノートがあり、
それには首長族の首の長さについては触れていなく
「○○ちゃんかわいかった」といような文章が多く書いてあった。
わざわざ高いお金を払って、首長族の村に行かなくても
かわいいタイ人の女の子は、たくさんいる。
本音は、「○○ちゃんのかわいさ」など問題でなく
首長族という奇形に興味があったから、村に行ったのだろう。
首長族の子供は、自分の意志で首を長くしたのではない。
この悪習をタイ政府は、廃止させるべきだろう。
<先祖の祟り>
1990年、僕が、「インドに行く」と言ってバイトを辞めた翌日
家に手相看が来て、父親の手相で、僕の「海外単独旅行」を言い当てた。
また「息子さんは、一人歩きの癖」があると言ったという。
「一人歩き」とは、当時僕は体力を落とさないように
なるべく歩くようにしていたことを指すのだろう。
(当時ジョギング愛好者向けの雑誌『ランナーズ』にこのようなことが書いてあった。
田舎で講演に行き、ジョギングを始める前にウォーキングから始めなさい
と言うと、時々「外なんか歩けるはずがない」と言われる)
やはり、当時若い男が鳥取市で外を歩くのは問題があったのだろう。
ところで手相看によれば、僕の行動は先祖の祟りだからと言い
100万円近い数珠を買うように勧めた。
父親は手相看の言葉を信用し、数珠を買おうとしていた。
僕が旅に出ている間、手相看は何度も家にやって来たが
母親や妹の大反対で、100万円近い数珠は買わなかった。
<自転車通勤程度で新聞社からインタビュー>
1990年頃、地元鳥取市の大通りは、朝の通勤時間帯は自転車通勤者は皆無に近かった(例外の大通りもあった)。
ある工場のバイトに行っていた時、自転車通勤していた道で、すれ違う自転車通勤者はだいたい一人だった。
彼の顔写真が地元紙日本海新聞に載っていた。
「国道29号線を自転車に乗っていることで有名な○○さん
なぜ自転車に乗っているのですか?」
彼は、ちゃんとトレーニングウエアーを着て自転車通勤していたから、取材を受けたのだろう。
僕は普段着で自転車通勤していたから「頭のおかしいヤツ」と思わていたのだろう。
(なおその後風潮が変わり、自転車通勤者が増え
自転車通勤でインタビューされるなどあり得ない)
<1990年のバンコクの自転車事情>
バンコクに初めて行ったのは1990年だった。
今でもそうだがバンコクの交通渋滞は有名だった。
バスに乗っていた時、渋滞に巻き込まれ、バスはほとんど動かなくなった。
クラー無しのバスで立っているのは、大変暑苦しく不快なので
何度かバスから降りて、歩いて目的地に向かった。
当時、渋滞の脇を自転車でスイスイ通り過ぎる人は見なかった。
バンコクでは、法律で自転車に乗ることは禁止されているのでは?と思ったぐらいだ。
デパートで、自転車を見た。よく見ると、それは固定式の自転車型のトレーニングマシーンだった。
僕も、これと同じトレーニングマシーンを買ったことがあるが
退屈過ぎる!
その後、バンコク事情に詳しい人に、バンコクの自転車の少なさについて聞いて見ると
以下のような見解だった。
「バンコクは暑いし、タイ人は身体を動かすのが嫌いだから」
しかし、バンコクの町を歩いている人は大勢いる。
のんびりと自転車をこいでいるほうが、風が当たり涼しく、歩くよりも快適だと思うのだが・・・
(2000年を過ぎてから風潮が変わったのか、バンコクでも自転車に乗っている人は時々見かける)
<デマの恐ろしさ>
タイにはカオサンという世界最大のバックパッカー街がある。
そこの某旅行代理店は日本人に大変人気があり
いつ行っても、用もないのにその旅行代理店にたむろしている日本人が多かった。
僕はその旅行代理店の店主Mさんに、ラオス情報を聞きに行った。
カネにもならないのに、親切にラオス情報やラオスを旅する注意点を教えてくれた。
このようなMさんの人柄だから、人気があるのは当然だと思った。
ところが、その旅行代理店の店主Mさんのデマが流れ始めた。
最初の噂は「Mさんは高く航空券を売る」だったのでは?・・・
その後、日本語情報ノートには「Mは在日朝鮮人だ」とか書かれるようになり
またある日本人は僕に「Mの野郎!自分の知っていることは偉そうに言いやがって!」
とMさんを感情的に非難した。
ついに、某旅行代理店は客は来ずガラガラになった。
カオサンによく来る日本人は、客がいない某旅行代理店の閑散としている状況に驚き
「噂がこんなに恐ろしいとは思ってもみなかった」と言っていた。
本来、バックパッカーは理性的で判断力は人並み以上のはずだ。
デマに惑わされてしまうとは・・・
<中国屈指の観光名所・桂林のくだらなさ>
(左の写真は観光宣伝用。右は僕が相当狙って撮った写真。観光宣伝用写真のような風景はまず見えないだろう)
桂林のハイライトは、山水画の世界が満喫できると言われている漓江下りだ。
桂林郊外から船が出発すると両岸に山水画に描かれている山々が迫ってきた。
まさに山水画の世界だった。
はじめのうちは興味をそそられていたが、しだいに飽きてきて、いびつなかたちの山々にしか見えなくなってきた。
美しく感動的な光景ではない。
風景の一部を巧妙に切り取れば美しい写真もできあがるが、奇異な風景にしか見えなくなった。
中国人も僕と同じ感覚らしく甲板で景色を眺めている人はほとんどいなくなり
船内で雑談をしたり、眠ったりしている。
中国人料金の4倍もする外国人料金のチケットを買った僕は、ほとんど誰もいなくなった甲板で
感動的でない風景を終点の陽朔まで辛抱強く眺め続けた。
<鴨長明>
鴨長明は下鴨神社の宮司の次男で上流階級の人だった。
しかし。出家し、山に庵を作り隠者のような生活を送った。
『方丈記』の文章の多くは世の無常を綴っている。
しかし彼も、自分の心の煩悩を消すことはできず
『方丈記』の最終章にこう書いてしまった。
浮世をのがれて山林に入り込むのは
精神を修養し、仏道をふみ行おうとするためである。
にもかかわらず、お前は姿は僧であって、心は浮世の利欲で
けがれている。
<難解過ぎる文章>
以下の文章は、20世紀で最も評価の高い哲学者サルトルの『存在と無』の最初の方の一節。
僕には、何度読んでもサッパり理解できない。
この文章を理解できる人はいるのだろうか?
1つのテーブルは、たとい表象の名においてでも、意識のなかにあるのではない。1つのテーブルは空間のなかにあるのであり、窓ぎわ等々にあるのであるのである。テーブルの存在は、事実意識にとっての不透明性を意識のなかに導入することは、意識が自己自身を作成しうる内容目録を無限に延長することであり、意識を事物たらしめ、コギトを拒否することであるであろう。それゆえ、哲学の第一歩は、意識から事物を追放し、意識と世界との真の関係、すなわち意識は世界についての定めでなければならない。あらゆる意識は、それが1つの対象に到達するために自己を超越するという意味で、定立的なのであり、意識はまさに定立そのものにつきる。私の現在の意識のうちに志向的に存在するすべてのものは、外の方に、テーブルの方に向けられている。その瞬間の私のあらゆる判断的あるいは実践的働き、その瞬間の私のあらゆる感情は、自己を超越し、テーブルをめざし、そしてそこに吸収される。あらゆる意識が認識であるわけではない(たとえば感情的意識もある)が、あらゆる認識する意識は、自己に対象についての認識でしかありえない。
<松尾芭蕉>
芭蕉は「片雲の風はさそはれて、漂白の思ひやまず」と旅に出たそうだが
この言葉に感動して、僕は海外に旅に出たようなものだ。
僕の旅は熱い時期や熱帯地方を旅したので、甘い旅である。
芭蕉の旅は、寒さの中を旅したのだろう。
「野ざらしを心に風のしむ身かな」
残念ながら、この俳句と同じ体験をした経験はない。
以上の内容は『般若心経』により、無に至る。
↓
<不思議なテキスト・日本語タイトル『般若心経』の現代語訳>
いろんな解釈があり、調べれば調べる程、訳が解らなくなる。
<一般的(?)な訳>
(僕が太字にした「無い」という言葉は漢訳では「空」。「空っぽ」ではなく、「無限に広がる空」=「宇宙」とする解釈に同意する。なお原文はサンスクリット語。著者はバグワン・シュリー・ラージュネーシュ)
求道者にして聖なる観音は、深遠な知恵の完成を実践していた時に、存在するものには五つの構成要素があると見極めた。
しかも彼は、これらの構成要素がその本性から言うと、実体の無いものであると見抜いたのであった。
シャーリプトラよ、この世においては、物質的現象には実体が無いのであり、実体が無いからこそ、物質的現象であり得るのだ。
実体が無いといっても、それは物質的現象を離れてはいない。
また、物質的現象は、実体が無いことを離れて物質的現象であるのではない。
このようにして、およそ物質的現象というものは、全て、実体が無いことである。
およそ実体が無いということは、物質的現象なのである。
これと同じように、感覚も、表象も、意志も、知識も、全て実体が無いのである。
シャーリプトラよ、この世においては、全ての存在するものには実体が無いという特性がある。
生じたということも無く、滅したということも無く、汚れたものでも無く、汚れを離れたものでも無く、減るということも無く、増すということも無い。
それゆえに、シャーリプトラよ、実体が無いという立場においては、物質的現象も無く、感覚も無く、表象も無く、意志も無く、知識も無い。
眼も無く、耳も無く、鼻も無く、舌も無く、身体も無く、心も無く、形も無く、声も無く、香りも無く、味も無く、触れられる対象も無く、心の対象も無い。
眼の領域から意識の領域に至るまでことごとく無いのである。
迷いも無く、迷いが無くなることも無く、こうして、ついに、老いも死も無く、老いと死が無くなることも無いというに至るのである。
苦しみも、苦しみの原因も、苦しみを制することも、苦しみを制する道も無い。
知ることも無く、得るところも無い。
それゆえに、得るということが無いから、諸々の求道者の知恵の完成に安んじて、人は、心を覆われることなく往している。
心を覆うものが無いから、恐れが無く、転倒した心を遠く離れて、永遠の平安に入っているのである。
過去・現在・未来の三世にいます目覚めた人は、全て知恵の完成に安んじて、この上ない正しい目覚めをさとり得られた。
それゆえに人は知るべきである。
知恵の完成の大いなる真言、大いなるさとりの真言、無上の真言、無比の真言は、全ての苦しみを鎮めるものであり、偽りが無いから真実であると。
その真言は、知恵の完成において次のように説かれた。
往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸いあれ。
ここに、知恵の完成の心を終わる。
(注・彼岸とは悟りの境地)
<ネットで見つけた比較的解り易い意訳>
宇宙の子らよ現実の世界は魂の世界と異ならず、魂の世界は現実の世界と異ならない。即ち現実の世界は魂の世界の現れであり、魂の世界もまた現実の世界の現れとなる。現実の肉体が感受する苦や快等の感覚、感受された感覚により生じた怒り喜び等の想念、想念により行動を促される衝動や意志である愛や憎悪、及びこれらの行動により生ずる物事に対する観念の実相もまた同様に宇宙根元の魂に基づくものである。宇宙の子らよ全ての現実界における現象は宇宙根元の魂の世界の法則の上になりたっている。この法則そのものは宇宙の当初より存在しており後から生じたものではなく、永遠不滅のものであり、何にも影響を受けることのない決して汚れることの無いものであり、絶対的に清らかなものであるからさらに清まることもありえず、このように永遠不変のものであるから増えることも減ることも有り得ない。かくのごとき宇宙根元の魂と一体となった悟りの境地においては、肉体を含む一切の物質現象は存在せず、肉体が感じる感覚、想念、行動、観念も存在せず、我々が物質現象を感受する目、耳、鼻、舌、及び身体そのもの、さらには我々の自我の意識さえ存在しないのである。従って、物を見ること、声を聞くこと、香りを嗅ぐこと、食べ物の味を味わうこと、物に触れる感触さえも存在しない。宇宙根源の法は見えない世界若しくは無意識の世界に存在し、そこでは無明から老死に至る十二の因縁もなく、これらが尽きることもない。生きることが苦しみであるということ(苦諦)、苦しみが諸々の執着による煩悩により生ずること(集諦)、執着をなくせば悟りが開け涅槃に達するということ(滅諦)、及び迷いの世界から脱し涅槃に達するには八正道の実践が必要であるということ(道諦)は宇宙根源の法には存在しない。悟りの知恵も得るものも定住する所もない求道者が宇宙根源の魂と一体となれるのは自我の心の殻を破ったからであり、自己を覆う殻がないからこそ恐れるものは何もなくなり、一切の執着を絶ち現実界の夢想からさめ涅槃の境地に至る。
(注・「涅槃」とはサンスクリット語でいう「ニルバーナ」の中国語音訳。「ニルバーナ」の意味は「吹き消された状態」)
『般若心経』を音声で唱えているページ。http://www.naritasan.org/flash/okyou.swf
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